大宅壮一『無思想の思想』

権勢と反逆を生む山口県(1)

毛利藩は、下関と大阪で米の売買などをおこなって、莫大な利益をあげた。これを”別途金”として貯え、非常時にそなえていたが、幕末、天下の風雲急を告げるとともに、江戸や京都への往来が激しくなり、これを藩の機密費、謀略費としてつかった。

“志士”と称する連中が、いろいろと口実をもうけてはこれを手に入れて、あちこちかけずりまわったのである。しかもその大部分が、正当な旅費、日当というよりは、飲食遊興費に用いられたことは、かれらの日記、手紙などに出ている通りである。いや、かれらのご乱行はそれをはるかに上まわるものだったにちがいない。今の言葉でいうと”藩用族”だ。

かれらはほとんど例外なしに、江戸、京都、下関などの花柳界に、独占もしくは半独占の女をもっていた。高杉晋作の小りか、桂小五郎(木戸孝允)の幾松、井上聞多(馨)の君尾などは、あまりにも有名であるが、これらのほかにもどれだけかくし女がいたかわからない。

洋学や洋式兵術を学ぶ資金をもって遊興したりするのはまだいい方で、御用商人と結託し、藩の購入する武器や軍艦の頭をハネたりしたものだ。”俗論党”と”正論党”の争いといっても実はこの機密費の争奪戦にすぎないという半面もあった。

(大宅壮一「権勢と反逆を生む山口県」『文藝春秋』昭和33年3月。大宅壮一『無思想の思想』文藝春秋、1991年より引用)

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