『マリス博士の奇想天外な人生』

理論的根拠のない予測

もし、誰かが食品中に毒性成分が含まれていると言ったとしよう。私なら、その毒性成分がなんという化合物なのか説明してもらい、それを食べるべきか否か、自分で判断したいと思う。科学とは一種の方法であり、その方法によって科学者が導き出した結論は、実験的なデータによって支持されていなければならない。つまり、導き出された結論を確かめてみたいと思う人がいれば、その人には実験の手順を知る権利がある。そして自分の手でチェックしてみることができる。したがって科学においては、科学者が単にそう思うというだけで、結論を導き出すことは許されない。

ここが、科学者の意見と、映画評論家や神学者の意見とが異なる点である。科学者の意見は、科学者の人間性とは関係がない。つまり重要なのは、アイザック・ニュートンがどんなやつだったかという点ではない。重要なのは、彼の主張、すなわち力とは質量かける加速度であるということだ。ニュートン自身は頭のおかしい変人で、両親の家に放火するような反社会的人物だった。しかし、力が質量と加速度の積である事実は今も変わらない。

オゾン層の動きや、将来1000年にわたる気象をコンピュータで予測している人々は、(いかなる場所にも神が存在するという教会の金科玉条があった時代に、真空の存在を証明してインチキ学者と攻撃された)サー・ロバート・ボイルと王立科学協会の態度から教訓を学ぶべきである。実際に測定できないこと、理論的根拠のない予測、学会の内部でも意見の相違があること、そういういい加減なことがらでわれわれの生活を乱してほしくはない。

(キャリー・マリス著・福岡伸一訳『マリス博士の奇想天外な人生』早川書房、2000年)

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