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Science Backs Dr. Judy Mikovits’ Warning That COVID Vaccine Could Kill 50 Million Americans
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科学研究の背後にある動機
科学はプログラム化された計画となり、科学者はその管理者となる。20世紀における科学上のもっとも重要な展開は、科学研究の背後にある動機が、好奇心から経済的なものに変化したことだろう。大学でも、政府機関でも、企業の研究所でも研究者に払う金が必要となる。研究室のリーダー、技術員、博士研究員、大学院生、秘書などの手当である。研究室の建物、装置、出張旅費、オーバーヘッドが必要となる。
オーバーヘッドとは研究組織に支払う一種のショバ代であり、管理者の給料や経費、経理、事務員、建物や地所の管理経費、警備員、紀要の出版代、図書館司書、清掃員などの諸経費が賄われる。これらには莫大な費用を必要とし、自分の研究を維持し、発展させるため研究者には大きなプレッシャーがかかる。
公的研究資金は全米科学基金、国立衛生研究所、国防総省、エネルギー省などの機関から分配される。もちろん資金をめぐってたいへんな競争となる。そこでわれわれはこう質問すべきなのである。「お前らは、オレたちの大切な税金を使って、いったい何をやっているんだ」と。
(キャリー・マリス著・福岡伸一訳『マリス博士の奇想天外な人生』早川書房、2000年)
野心的な科学者
いまや、科学における象牙の塔は腐敗している。それは官僚組織が科学を職業化し、運用することによって、経済的なメリットが生み出されることに気づいたからである。第二次世界大戦の直前、政府は科学に巨大な投資を開始した。科学者や技術者は新しい重機や精密機械、より強力なエンジン、より硬い材料を作り出した。より速く飛ぶ飛行機を作り、それを見つけだすレーダーを作り、撃墜するための対空砲を作り出した。撃墜されて負傷したパイロットを救命するために抗生物質を作り、眠気で仕事を怠けるのを防ぐため覚醒剤を作り、労働時間を増やすため夏時間制を敷き、とうとう最後には原子爆弾を作り出した。第二次世界大戦は劇的かつ悲惨な終結を迎えた。
科学者たちは自分が世間とは無関係でないことを思い知った。実際、科学者は過去に一度も、象牙の塔にこもって理屈をもてあそんでいるだけの高等遊民であったためしはない。野心的な科学者が手段をもてば、原子爆弾を作り出し、神に対する人々の畏れを暴君アッチラに対する恐怖へと変えてしまうことができるのだ。科学は戦後世界のパワーバランスを決定する力をもちはじめた。政府はますます巨大科学に金をつぎこみはじめた。
(キャリー・マリス著・福岡伸一訳『マリス博士の奇想天外な人生』早川書房、2000年)
理論的根拠のない予測
もし、誰かが食品中に毒性成分が含まれていると言ったとしよう。私なら、その毒性成分がなんという化合物なのか説明してもらい、それを食べるべきか否か、自分で判断したいと思う。科学とは一種の方法であり、その方法によって科学者が導き出した結論は、実験的なデータによって支持されていなければならない。つまり、導き出された結論を確かめてみたいと思う人がいれば、その人には実験の手順を知る権利がある。そして自分の手でチェックしてみることができる。したがって科学においては、科学者が単にそう思うというだけで、結論を導き出すことは許されない。
ここが、科学者の意見と、映画評論家や神学者の意見とが異なる点である。科学者の意見は、科学者の人間性とは関係がない。つまり重要なのは、アイザック・ニュートンがどんなやつだったかという点ではない。重要なのは、彼の主張、すなわち力とは質量かける加速度であるということだ。ニュートン自身は頭のおかしい変人で、両親の家に放火するような反社会的人物だった。しかし、力が質量と加速度の積である事実は今も変わらない。
オゾン層の動きや、将来1000年にわたる気象をコンピュータで予測している人々は、(いかなる場所にも神が存在するという教会の金科玉条があった時代に、真空の存在を証明してインチキ学者と攻撃された)サー・ロバート・ボイルと王立科学協会の態度から教訓を学ぶべきである。実際に測定できないこと、理論的根拠のない予測、学会の内部でも意見の相違があること、そういういい加減なことがらでわれわれの生活を乱してほしくはない。
(キャリー・マリス著・福岡伸一訳『マリス博士の奇想天外な人生』早川書房、2000年)
地球を守ってくれるお偉方
科学シンポジウムを企画し、マスコミに話題を提供することで、リッチなサラリーを受け取っている人種とはいったい何者なのだろうか。彼らは政治家ではない。そもそも政治家は科学のかの字も理解などしていないのだ。政治家は物知り顔に振る舞いたいだけである。そのため、政治家にレクチャーする人々が必要となる。そのような人種とは何者なのだろうか。これを見きわめることが重要なのだ。彼らこそがわれわれの生活を操作しているのだから。彼らは差しせまった問題があると騒ぎたて、それが国家事業によって防御しうると主張する。政治家がそれに向けて行動するように啓蒙を行なう。
こういう人種は経済学や社会学の学位をもっているものの、優良企業のよいポジションに就職できなかった連中であり、一種の寄生虫である。毎年毎年、われわれを思い悩ませる課題を作りだす元凶が彼らである。しかし、彼らが作り出す課題はどれも絵空事にすぎないのだ。ちょうどお笑い番組の間に流れるコマーシャルくらい非現実なものである。オーストラリアかどこかの奥地で、さも頭の悪そうなマッチョ男がハリウッド美女を従えて、四輪駆動車を運転してみせるCMがあるが、あれではその車の利便性は何も分からない。それとまったく同程度の絵空事なのである。
ではいったい、そういった人間に誰が金を払っているのだろうか? 国連がわれわれの税金で支援している国際気象観測機構? あるいは政府の環境保全局? そもそもここは、ある魚種が絶滅しかけているとの理由で工場閉鎖を強要し、従業員が別の部署に配置転換させられるという労働問題を生みだし、そのことで非難されている組織である。あるいは環境保護団体が金を払っているのだろうか?
われわれは疲れ果てて仕事から帰ってくると、とてもそんなことを詮索する気にはならない。・・・・・・われわれはそんなことを心配せずにぐっすり眠ればよい。この地球はお偉方がしっかり守ってくれるから、というわけだ。そのお偉方こそが、沈まぬ太陽のごとく無謬(むびゅう)を誇る官僚機構であり、また今日、特に環境論者と呼ばれている人々なのだ。
(キャリー・マリス著・福岡伸一訳『マリス博士の奇想天外な人生』早川書房、2000年)
環境世界会議
連邦政府大気環境委員会の委員長は今夜、彼の秘書、そしてカリフォルニア工科大学から馳せ参じた数人の専門家とともに、夕食の席についた。委員長は、ほんの少し前CNNのインタビューで、オゾン破壊問題を研究するためさらに5000万ドルの資金が必要になると発表していた。高そうなカジキマグロのステーキをはさんでテーブルにはCNNの新しい科学担当記者も同席している。彼らは今日のニュースが首尾よく放映されたことに乾杯していた。晩餐の締めくくりはクリーム・キャラメルのかかったデザートとブランデー、そしてカプチーノである。彼らは次の秋、オスロで開かれる環境世界会議2000での再会を約束しあった。
オゾン破壊問題のニュースは全国公共放送(NPR)のラジオを通じて流れている。あなたも帰りの車の中で聞いているかもしれない。そしてここのところ、やれシェービングクリームのエアロゾルがダメ、やれヘア・スプレーがダメ、とさんざんおどかされているにちがいない。ラジオをつけるたびに、この手のニュースが流れ、環境問題が取りあげられるたびに、あなたはかなり罪の意識を感じることだろう。
スーパーで買い物をするときは、エアロゾルを使用していないシェービング・ジェルを選ぶようにする。スピードを出さないようにして帰る。後部座席に置いたテイクアウトのラージサイズのペペローニ・ピザの香りが車内に充満している。ピザは少々冷めてきているけれど、これでも地球のことを考えて運転しているのだ。
(キャリー・マリス著・福岡伸一訳『マリス博士の奇想天外な人生』早川書房、2000年)
オゾン層の破壊
科学的な根拠がない以上、いかにわれわれ人類が上空のオゾン層を破壊しているといっても無意味でしかない。オゾン層に穴があくことはあるかもしれない。しかしそのときは、次のようなことが起こるはずである。太陽からやってきた紫外線はオゾンホールを通り抜けて地球の大気を直撃する。大気の層は何キロもの厚みがあり、そこに含まれている酸素が紫外線を吸収する。するとそのエネルギーによって酸素からオゾンが生成され穴をうめる。つまり、太陽が発した紫外線が酸素に出会うとオゾンが発生するのである。
発生したオゾンは紫外線を吸収し、紫外線がそれ以上、下層にある酸素に達するのを防ぐ。地表面ではわれわれが呼吸する酸素があり、上空にはオゾン層があるのはこのメカニズムによるのだ。仮に、全世界の国々が一致団結し、大枚をはたいてオゾン層をなくそうとしても、それは不可能である。大気からすべての酸素がなくならないかぎり、オゾンをなくすことはできない。もしそれが実現した暁には、われわれは呼吸できない。植物が大量の酸素を供給してくれないかぎりは。
つまり、上空の大気のオゾン層は自律的に調節されているのだ。仮に何かを測定してオゾン量が減ったといっても、それはオゾンがなくなったとか、なくなろうとしているといったことを示しているのではない。(中略)人間の活動が地球の温暖化とオゾン層の減少の原因であるとする考え方は、ちょうど石器時代に描かれた壁画のせいで、そのあと氷河期が来たと主張するのと同じくらいのばかげた話である。
(キャリー・マリス著・福岡伸一訳『マリス博士の奇想天外な人生』早川書房、2000年)
紫外線と皮膚ガン
オゾン層が減少していることを示す間接的証拠というのもあてにならない。いわく皮膚ガンが増加している。たとえ皮膚ガンが増加しているとする報告が本当だとしても、それはただちに紫外線量が増加していることにはならない。皮膚ガンの増加は人間が陽光を求めて移動してきたからかもしれない。過去40年間、アメリカ北部および北東部の人口は、南部および南西部に移動している。
同じ時期に、日焼けした肌は一種のファッションになった。ゴルフの流行はどうだろう。一役買っているかもしれぬ。もう一つの要因は、医者も患者も最近は肌を注意深く眺めて、どこかに小さな黒いシミはないか、それが急に大きくなってはいないかを探す習慣が身についてきたということがある。つまり、診断力の向上が症例数を増やす。地球上に降りそそぐ紫外線量を疑いの余地なく測定するためには、ガンの数を数えていてはだめである。
地表での紫外線量を測定すべきなのである。南極観測隊がやっているように、地表面に一台6000ドルの紫外線測定器を設置して、数年間にわたって観測を行なえばよいだけの話だ。このような測定を行なった例はないのだろうか。もしあるのなら、どこかで耳にしてもよいはずである。
(キャリー・マリス著・福岡伸一訳『マリス博士の奇想天外な人生』早川書房、2000年)
フロンの生産特許
「環境にやさしい(エコロジカル)」という言葉は「宇宙 (ユニバース)」という言葉に似ている。どちらも意味する実体をもたないという点で。エコロジカルとは相対的なものでもある。相対的とは主観的ということでもある。大衆の主観でどうにでも変わりうる。エコロジカルという言葉がどのようにでも使いうることは今日の常識でもある。語られている文脈から切り離してしまうと、エコロジカルが何を意味しているのかまったく分からなくなる。
われわれの愛する地球の歴史を虚心坦懐(きょしんたんかい)に眺めてみると分かることは、地球環境で確実なのは、それが絶え間なく変化しているということである。あるときは住みにくくなる方向へ、あるときは突然、大変動が生じる。こう考えると環境保護運動そのものが急に色あせて見える。そもそも自然の状態そのものが変動するのであれば、ある環境指標の変化にどうしてそれほど頭を悩ませる必要があるのだろう。いったいどこの誰が、このような空虚な環境のとらえ方を始めたのだろうか?
冷蔵庫やエアコンに使われているクロロフルオロカーボン、その代表的商品名はフロンである。アメリカにおけるフロンの生産特許が期限切れになるのと同時に、フロンの使用が禁止されることになった。これは偶然にしては驚くべきタイミングのよさである。世界各国でようやくロイヤリティを払わずにフロンの生産が行なえるようになった矢先に、禁止令が出されたのである。そのかわり、新しい代替化合物が登場した。むろんそれは特許で守られている。フロンはこの新製品に置き換えられ、これを生産する企業には再び金が入る仕組みになっているのだ。
(キャリー・マリス著・福岡伸一訳『マリス博士の奇想天外な人生』早川書房、2000年)
疑わしい科学者
科学は天のお告げではない。もちろん(現代の諸)問題のうち、いくつかは容易には実証できないこともある。だが、それは日常レベルの感覚では容易でないということにすぎず、仮説の当否を判断する上で、何かの実験方法は必ずあるのだ。もしそのような検証ができないのなら、科学者はその問題についてあれこれ主張すべきではない。
ニュートンなら、どこかの科学者が王立科学協会内で、飽和脂肪酸と心臓病の関係について軽々しく論じることを決して許しはしないだろう。なぜならわれわれが日々耳にする栄養と健康の関係はすべてが推測によるものであり、さらなる研究が待たれている問題であり、おそらくは将来にわたっても検証されることがない問題だからである。
地球環境はこのままだとたいへんなことになり、それらの変化はみな、人間の諸活動がもたらしたものであると声高に主張してやまない学者がいる。彼らはきわめて疑わしい。もうテレビを消したまえ。そして小学校の理科の教科書をもう一度開いてみよ。科学者たちが何をたくらんでいるのか見破る必要がある。個人は自分で考える必要がある。幸いなことに、科学者たちは着替えたり、その行動パターンを変えるのを好まない。彼らは昔ながらの白衣をまとい、重労働はできるかぎりしない。だから簡単に見分けがつく。
(キャリー・マリス著・福岡伸一訳『マリス博士の奇想天外な人生』早川書房、2000年)