鹿島曻『昭和天皇の謎』

天皇は「東条にだまされた」と語った(4)

ここで終戦にいたるまでの天皇の戦争責任を総括しよう。

天皇の責任はまず、天皇が立憲君主か絶対君主かという見方によって変わろう。しかし、明治憲法によっても国民の常識としても、天皇は絶対君主であった。そこに昭和天皇の悲劇があった。

明治憲法上、天皇はすべての統治権をもち、天皇ただ一人が軍に対する統帥権をもっていた。

宣戦の詔書を発し、勝ち戦のあいだは天皇は側近たちとともに欣喜雀躍して、シンガポール陥落のときは「奉告を天機(きげん)御麗しく御聴取、深く御満悦の模様であった」という。天皇の真意は、「勝てばカミカゼのせいだ、もし負けたら将軍たちのせいだ」というほどのものであったろう。

これよりさき近衛内閣が三国同盟に踏みきったとき、天皇は「帝国とその意図を同じくする両国との提携は朕の深く喜ぶところなり」と詔書を出した。

戦争がいやならば、こんなことをわざわざいう必要はなかったではないか。

『入江日記』は、「(1941年)12月9日、各新聞にはハワイの大戦果を大きな字で掲げている。その嬉しいことといったらない。・・・・・天皇は三殿御親拝の上、宣戦布告を三殿に御奉告あらせられる」と述べている。このとき天皇はおおよろこびで、開戦を皇祖皇宗に申告したのである。

戦勝の結果だけを自分の手柄にしたい天皇の立場で考えてみると、戦いすんだときは「将軍たちが勝てるといったから開戦したのだ、負けたのでは話が違う。ダマされた」といったところか。

(鹿島曻『昭和天皇の謎』新国民社、1994年)

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