鹿島曻『昭和天皇の謎』

天皇は「東条にだまされた」と語った(2)

「A級戦犯判決の23年(昭和)2月12日に、村井元宮内官が御座所のドアを開けたところ、陛下は眼を泣き腫らして、真っ赤な顔をしておられた」(「新潮45」昭62/1)

このとき東条のために泣いた日本人はそうたくさんはいなかった。天皇はマッカーサーとの会見において、東条を「使い捨て」にし、スケープゴートに仕立てて、東条の処刑を確定させたのであるが、不思議なことに自らはそのことを忘れたのか、その意識がなかったようである。「東条にだまされた」とマッカーサーにいって、孤立無援で救いのない東条の足をひっぱっておきながら、いざ東条が処刑されるとなると自責の念にかられたのである。

昭和天皇は、まったく将軍に向かない、「せいぜい少将程度の能力しかない東条」(真崎大将がいった)を寵臣にした。こういう情実人事は、信長、秀吉、家康といったたぐいの武将ならば決してしなかったにちがいない。

東条は天皇にせっせとゴマをすって、統制派のリーダーとして中国に対する侵略戦争にはげみ、天皇もそんな東条を側近ナンバーワンとして遇した。またそのことが木戸をして東条を首相に推薦させた唯一の理由であった。乃木にしろ東条にしろ、戦功によって出世したわけではなく、先輩をスパイするとか仲間を謀略にかけるとかで出世した男である。

1975年9月8日、天皇はアメリカNBC放送のエドウィン・ニューマンに対して、「私は終戦を私の意思で決定しました。動機は日本国民が戦争による食糧不足や多くの損失にあえいでいたという事実や、戦争の継続は国民にいっそうの悲惨さをもたらすだけだと考えたためでした」といって得意になった。

また同年9月20日、天皇はアメリカのニューズ・ウィーク誌のバーナード・クリッシャーに対して、「戦争終結のさい私はみずから決定をくだしました。それは首相が閣内で意見をまとめあげることができず私に意見を求めたからです。私は自分の意見を述べそれに基づいて決断しました。開戦時には閣議決定があり、私はその決定をくつがえすことはできなかった」といった。

しかし、すでに論じてきたようにこれはマッカなウソであった。これらの取材への回答は、天皇訪米前のとりつくろいでしかなかった。

要するに天皇はソ連の参戦によって、ソ連に捕らえられればまちがいなく処刑されると思ったのであろう。自分の生命があぶないとなれば、天皇はもう決して「鈍行列車」ではない。ソ連に捕らえられる前にアメリカに降服すれば、生命だけは助けてもらえるかもしれない。それはひとえに「恐怖の暴走」であった。

(鹿島曻『昭和天皇の謎』新国民社、1994年)

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