鹿島曻『昭和天皇の謎』

侵略戦争はヤクザの縄張り争いと同じだ(4・完)

また、柳条溝事件のとき、林銑十郎朝鮮軍司令官は独断で鴨緑江を渡って満州に出兵した。林は進退伺いを出したが、天皇はそれを免責したという。関東軍、朝鮮軍の侵攻によって半年足らずで満州略奪は成功した。

このときもまた天皇は、柳条溝事件の張本人である関東軍参謀の板垣征四郎や石原莞爾を殊勲者として厚く遇しているし、本庄司令官はのちに侍従武官長として側近に置いた。林司令官にはのちに組閣の大令を下している。関東軍に対しては「朕深くその忠烈を嘉(よみ)す」と勅語で賞めている。天皇にはこの侵略について悪の意識がなかったのであろう。

1932年3月、清朝の廃帝(ラスト・エンペラー)溥儀を用いて満州建国が行なわれる。1932年1月の上海事件(日蓮宗僧殺害を契機とする日本軍と中国軍の戦い)で、外国の目を上海に集めておいて、であった。

日本の満州建国に反対する声がアメリカ、イギリスであがったが、アメリカもイギリスも中国に同情したように見せて、じつのところ日本の一人占めに不服だったのである。国内では、帝国主義による中国領土の強奪を天皇はもとよりすべての国民が喜び、歓迎したのだった。

このときの日本人は自ら漢字文化圏の一員であり、そうである以上「中原の鹿を追う」資格があるという自覚はなかった。自らを神国の民として中国人を“チャンコロ”と蔑視し、文明人が野蛮人を攻め滅ぼすという了見だったのである。いくら当時の国民の経済が不振であったからといって、他国を侵略して喜ぶということこそ、道義の退廃といえる。

(鹿島曻『昭和天皇の謎』新国民社、1994年)

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