鹿島曻『昭和天皇の謎』

侵略戦争はヤクザの縄張り争いと同じだ(3)

したがって、天皇が憲法にのっとり法治主義を貫くとすれば、最初田中首相から報告のあったとき、天皇はまず陸軍参謀総長に事件の調査を命令すべきだったのである。天皇が事件の責任者にみずから命令せず、権限のない田中に「辞表を出してはどうか」と強い語気でいったのは、天皇みずからいう「私の若気の至りである」にしても、田中を責めるのはおかどちがいであり、なすべきことは自分にあった。

この張作霖爆殺事件は3年後の柳条溝事件の伏線であり、満州事変から日中戦争、そして日中戦争から太平洋戦争へとつらなっていく。天皇の独白録の冒頭にこの事件が置かれていることは意味が深く、天皇が事件の犯人であった河本大佐を処分しえなかった責任はじつに大きい。歴史的な大チョンボといえよう。

1931年9月、関東軍はこんどは柳条溝事件を生みだす。奉天近くの柳条溝で南満州鉄道を爆破したのである。この鉄道は日露戦争で日本がロシアから譲渡されたものである。爆破を中国軍のせいにして、それを理由に関東軍は中国軍との戦いを始めた。陸軍の謀略によって始まった侵略であり、これが満州事変の始まりであった。

関東軍司令官本庄繁は「一部軍人、民間人によって謀略が企てられたときき及びましたが、関東軍ならびに本職としては、断じて謀略はやっておりません」と天皇の前でシラを切り、天皇は満足したという。うまくウソをつければよいのである。

(鹿島曻『昭和天皇の謎』新国民社、1994年)

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