鹿島曻『昭和天皇の謎』

侵略戦争はヤクザの縄張り争いと同じだ(1)

100年前の日清戦争(1894〜5)で、日本は台湾の割譲を受けただけでなく、ともかく中国本土に足がかりを得た。日露戦争(1904〜5)の結果、満州と朝鮮半島に進攻することになった。さらに第一次大戦(1914〜18)ののち、日本は中国本土の山東半島の権益を手中にした。このような歴史的事実は小学生も知っている程度のおさらいであるが、これで日本は帝国主義国家への仲間入りを果たしたといえよう。

時は流れて1926年末、昭和の御世となる。昭和天皇25歳であった。

1928年6月の張作霖爆殺は、日本の帝国主義路線の延長線上にあった。軍閥政治の中華民国にあって、張作霖は北京の大元帥といわれていたが、じつは日本の操り人形であった。南方の蔣介石と対決して形勢はかんばしからず、6月4日、張作霖は、満州に駐屯していた関東軍(満州の日本陸軍)の強力な要求で、北京から特別列車に乗って奉天(瀋陽)に帰ろうとしたが、午前5時20分、奉天駅に近づいたとき列車を爆破されて、その日午前10時頃死亡した。

この爆破は関東軍参謀の河本大作大佐が計画したもので、その狙いは満州を日本、よりリアルにいえば陸軍の手で押さえようとしたものである。

「この事件の首謀者は河本大作大佐である。田中総理は最初私に対し、この事件ははなはだ遺憾なことで、たとえ、自称にせよ一地方の主権者を爆死せしめたのであるから、河本を処罰し、支那に対しては遺憾の意を表するつもりである、ということであった。(中略)田中は再び私のところにやって来て、この問題はうやむやの中に葬りたいということであった。それでは前言とはなはだ相違したことになるから、私は田中に対し、それでは前と話がちがうではないか、辞表を出してはどうかと強い語気でいった」(『昭和天皇独白録』表記は現代かなづかいにした)

(鹿島曻『昭和天皇の謎』新国民社、1994年)

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