大宅壮一『無思想の思想』

明治の天皇制(3)

それまでは、公卿の方でも、皇室の実力、実態なるものをよく知っていた。“尊皇” などといって天皇を勝手に神格化して騒ぎ立てるものを内心ではバカにしながら、ひそかにホクソえんでいたにちがいない。当時公武合体思想を抱いていた孝明天皇を生かしておいたのでは倒幕が実現しないというので、これを毒殺したのは岩倉具視だという説もあるが、これには疑問の余地があるとしても、数え年16歳の明治天皇をロボットにして新政権を樹立しようとしたことは争えない。

このことはかれらの間で天皇が “玉”と呼ばれていたのを見てもわかる。慶応3年、挙兵の打合せに京都から長州にやってきた大久保利通を迎えて木戸孝允は、「禁闕(きんけつ)奉護の所、実に大事のことにて、玉を奪われ候ては、実に致し方なしと甚だ懸念」といったと、『大久保利通日記』にも出ている。

このように、討幕運動の企画、演出者をもって自任している連中は、天皇をスター俳優、錦之助か千代之介のように考えていたのである。それが後には、久米正雄の『地蔵経由来』の主人公さまのように、文字通りに神格化されてしまったのだから、誰よりもかれら自身が驚いたにちがいない。

(大宅壮一『無思想の思想』文藝春秋、1991年)

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