明治の天皇制(2)
この編成替えは、実に巧妙におこなわれた。倒幕運動の内部においても、各藩の中に微妙な対立が発生し、その対立が激化するにつれて、皇室株がセリ上ったのである。この形は倒幕が完成してからも、新政府の中にもちこまれた。薩長土肥の雄藩は、相互に競争し、牽制して、脱落するものも出た。最後に残って支配権をにぎった薩長も、ついに政権を独占するにはいたらず、その間に皇室株は上昇をつづけ、明治的絶対主義の基礎ができてしまったのである。
また維新革命が成功するまでは、藩本位で動いていたのが、成功後においては、この革命を推進した人物は、ほとんど個人的に新政府と結びつき、個人的な栄達をねらった。というのは、かれらの大部分は下級藩士であったからだ。かれらの藩意識は、新政府内の派閥争いとなって尾をひいたにすぎず、皇室と対抗するような力にはならなかった。
多年宮廷にあって御殿女中的な策謀の血をうけついでいる公卿出身の元勲たちは、巧妙な分裂政策をとり、旧藩士たちの相剋を利用して天皇制の確立につとめた。こうなると旧藩士たちも、これに便乗するほかはなく、ここに激しい便乗コンクールが開始されて、いつのまにか、天皇は雲の上の存在になってしまったのである。
(大宅壮一『無思想の思想』文藝春秋、1991年)