永井荷風『断腸亭日乗』を読む

元来日本人には理想なく

日支今回の戦争は日本軍の張作霖(ちょうさくりん)暗殺及び満洲侵略に始まる。日本軍は暴支膺懲(ぼうしようちょう)と称して支那の領土を侵略し始めしが、長期戦争に窮し果て俄に名目を変じて聖戦と称する無意味の語を用ひ出したり。欧洲戦乱以後英軍振はざるに乗じ、日本政府は独伊の旗下に随従し南洋進出を企図するに至れるなり。然れどもこれは無智の軍人ら及猛悪(どうあく)なる壮士らの企るところにして一般人民のよろこぶところに非らず。国民一般の政府の命令に服従して南京米(ナンキンまい)を喰ひて不平を言はざるは恐怖の結果なり。麻布聯隊叛乱の状(さま)を見て恐怖せし結果なり。今日にては忠孝を看板にし新政府の気に入るやうにして一稼(ひともうけ)なさむと焦慮するがためなり。元来日本人には理想なく強きものに従ひその日その日を気楽に送ることを第一となすなり。今回の政治革新も戊辰の革命も一般の人民に取りては何等の差別もなし。欧羅巴(ヨーロッパ)の天地に戦争やむ暁には日本の社会状態もまた自ら変転すべし。今日は将来を予言すべき時にあらず。

永井荷風『断腸亭日乗』昭和16(1941)年6月15日

町の噂(うわさ)

芝口辺米屋の男三、四年前召集せられ戦地にありし時、漢口(かんこう)にて数人の兵士と共に或医師の家に乱入したり。この家には美しき娘二人あり。医師夫婦は壷に入れたる金銀貨を日本兵に与へ、娘二人を助けくれと歎願せしが、兵卒は無慈悲にもその親の面前にて娘二人を裸体となし思ふ存分に輪姦せし後親子を縛(しば)つて井戸に投込みたり。かくの如き暴行をなせし兵卒の一人やがて帰還し留守中母と嫁とを預け置きし埼玉県の某市に到りて見しに、二人の様子出征前とは異り何となく怪しきところあり。いろいろ様子をさぐりしがその訳分明ならず、三月半年程過ぎし或日の事、嫁の外出中を幸その母突然帰還兵士に向ひ、初めは遠廻しに嫁の不幸なることを語り出し、遂に留守中一夜強盗のために母も嫁もともども縛られて強姦せられしことを語り災難と思ひ二人の言甲斐なかりしこと許せよと泣き悲しむところへ、嫁帰り来りてこれも涙ながらにその罪を詫びたり。かの兵士は漢口にて支那の良民を凌辱せし後井戸に投込みしその場の事を回想せしにや、程なく精神に異状を来し、戦地にてなせし事ども衆人の前にても揮るところなく語りつづくるやうになりしかば、一時憲兵屯所(とんしょ)に引き行かれ、やがて市川の陸軍精神病院に送らるるに至りしという。市川の病院には目下三、四万人の狂人収容せられゐる由。

永井荷風『断腸亭日乗』昭和16(1941)年6月18日

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